7話 遺志

 俺が骸禍天襲来の真相を暴くことにしたとサクに伝えると、サクは「私も興味あるし、お好きにどうぞ。でも、危険なことをしたら実力で止めるからね」と言った。

 情報を引き出すためにサクとはなるべく話すようにしているが、淫魔のことを知れば知るほど勝てる気がしなくなってくる。淫魔は人間が適応できる環境ならどこでも生存でき、野を駆ける猛獣に走って追いついて素手で屠る体力があり、病気にならず、一ヵ月に一人の獲物にありつけさえすれば五百年は生きられるらしい。

(こんなのを出し抜かないと一ヵ月で死ぬのか……)

 サクがこれまで憑りついてきた男たちは長くても一ヵ月でサクの体に溺れ命を落としてきたらしい。事の真相を突き止め、首謀者を制裁するにはあまりに短い時間だ(※作中の暦では一年は約四百日、一ヵ月は約四十日)。

 皮肉なことに、サクの術が俺の心を絶望から守っている。淫魔の術は獲物をセックスに適した状態にするものだが、性欲が増すのは効能の一部に過ぎず、もっと総合的に身体や精神の調子を整えるらしい。

 俺は動き出した。最初の目的地はもちろんニオラガンだが、その前に今度こそラガンに帰ってネデルとシラの遺品を探すことにした。ロヤの遺体も弔いたいし、捨ててきた荷物も回収したい。

「人間が葬儀を大事にしているのは知ってるけど、寿命の使い方はちゃんと考えなよ?」
「お前が俺を殺そうとしてるんだろうが! 殺すぞ!」

 俺が倒れた場所まで戻ると、大量の這狼の遺骸が転がっている。どいつもこいつも、とんでもない力で叩き潰され、引き千切られ、無惨なミンチになっている。俺ははっとした。

「もしかして、こいつらをやったのはお前か?」
「え? あー、うん、多分そう。レゾを取り返すために襲ってきたからね」

 俺もサクに真正面から戦いを挑めばこうなるんだろう。寝込みを襲う必要がありそうだ。

 ロヤの遺体は食害に遭っていたが、頭蓋骨が綺麗に残っていた。世話になった家畜が死ぬと、人間と同じように火葬して灰を川や森に散布するのがテナ人の弔いの作法だが、ロヤを灰にするには火葬場が必要だ。高温の火を起こせる油香樹ゆこうじゅの枝をたくさん集め、労獣の象徴である一本角を灰にして森に撒くにとどめる。

(ロヤのお陰で俺はまだ生きている。最後の一瞬まで生き抜かねぇとな)

 この闘志の根源もサクの術なんだろうか。俺は腕っぷしだけが取り柄の平凡な男だ。本来の俺に、全てを失った挙句に淫魔に憑かれて、まだ何かを為す意志を持ち続ける強さがあっただろうか。そんなことを考えながら、廃墟と化したラガンでネデルとシラを探す。

 二人の遺体はすぐに見つかった。シラは倒壊した自宅の屋根が腹を貫通し、ネデルは外出中に骸禍天の羽ばたきで吹き飛ばされ、生垣に頭を打ち付けて死んだようだ。遺体が物陰に隠れていたお陰で食害には遭っていない。

「……」

 サクの術が心を落ち着けてしまうので涙は流れない。俺が立ち上がれるのが術のお陰なのは百も承知だが、敢えて泣き、弔いの感情を守る。人が死ぬと、肉体は自然に還り、魂は黄泉路の果ての火と一つになって消える。それで終わりだ。生者は死者無しで生きる術を探さなければならない。泣き終えたらまた進み続けると自分に誓うのが涙の正しい使い方だ。

 心行くまで泣いたら、二人に別れを告げる。火葬場は崩壊していたので、炭屋や大工連中の家の跡地からありったけの燃料を集めて火をおこす。二人が骨になっていくのを見つめていると、見覚えのある箱が地面に転がっているのに気付く。

(この箱、ネデルのじゃないか?)

 間違いない。ネデルが絵を保管するのによく使っている黒堅樹こっけんじゅ製の箱だ。黒堅樹は丈夫過ぎて加工しづらいが、虫や湿気に強いから貴重品の保管に最適だとネデルから聞いたことがあった。

 箱の中の丁寧に折りたたまれた白い布を広げると、俺とシラが描かれている。

(なるほど。結婚祝いの絵か!)

 シラは作業着の上に、妊娠して日が浅い女が身につける若草色の腹巻をつけ、チヤレ県の上級技官の証である黒いスカーフを首に巻き、仕事道具を背負った労獣を曳いている。シラは水動を保守する下っ端技官だったから、子作りも仕事も成功した未来を表現しているのだろう。

 俺の方はというと、全裸で山道を登りながら行く手に向かって殴りかかっている。何かに格闘戦を仕掛けているのは間違いないが、敵の姿は描かれていない。未完成なんだろうか?

 絵を覗き込んだサクが「上手うまっ!」と驚きの声をあげる。俺は絵の上手さではなく、俺が勇ましく描かれていることに驚いていた。ネデルの目に俺がこんな勇敢に映ることが一度でもあったのだろうか?

 俺は十歳の時に母さんがダラカの風禍で、十三歳の時に這狼の大群がラガンを襲撃した「新月の多狼事変」で父さんが死に、十四歳の時に二年間一緒に暮らしていた父さんの再婚相手に棄てられた。天涯孤独の苦しみから俺が立ち直れたのは、間違いなくネデルのお陰だ。

 ネデルは短期間に身内の不幸が重なり、俺と同じ頃に独りになった。俺とネデルは同じ年に生まれたが、もともとはあまり親しくなかった。俺は子供の頃から山と森が庭代わりの野生児で、ネデルは家で絵ばかり描いていた。同じ苦境に陥ったことで俺たちの仲は急速に深まったが、人生を諦めかけていた俺とは違い、ネデルは何一つ諦めていなかった。

「レゾは僕の絵の才能を知ってるだろ? 僕も独りは辛いけど、僕の絵を知ることもなく死ぬ哀れなヤツを一人でも減らす使命があるからね。泣いてうずくまってる暇はないんだ」

 ネデルは俺とは違う種類の人間だった。生まれつきの障害で手先を思い通りに動かせなかったが、口で筆をくわえて絵を描く術を磨き、将来は画家として身を立てる野心があった。顔立ちも体格も女の子みたいだったが、障害を馬鹿にされても意に介さない根性があった。毒舌家で頭が少しイカれていたが、俺はネデルを尊敬していた。

 ネデルは明るくて面倒見が良かったが、優しい言葉で友達を励ますタイプではなかった。当時のラガンには俺達と似た境遇のヤツが何人かいたが、ネデルはそいつらを見下していた。

「弱虫どもは存在するだけで気が滅入るよな。遺灰を森に撒き終えたのに、いつまでメソメソしてるつもりなんだ? いいからさっさと立てよって話だよな」

 俺は同意も否定もせず、ただネデルに友達と思ってもらえる程度には頑張ろうと心の中で誓った。それが俺が前を向いて歩き始めた最初の一歩だった。

 俺達は励まし合う仲ではなく、俺が悲観的になる度にネデルが俺を小突いてグチグチと一方的に文句を言う仲だった。うざいことこの上なかったが、俺みたいに負の感情に溺れると何もできなくなるヤツにはそれくらいが丁度良かったし、ネデルも状況に負けないために厳しい態度をとって自分を叱咤していたことが、今ではわかる。

 俺はふと、この絵はもう完成してるんじゃないのかと思った。ネデルが言っていたが、絵にはそこに在るものをわざと描かない表現技法があるらしい。そう考えると、敵の姿が描かれていないこと自体に意味があるように思えてくる。

(そういえば、人生を山と谷に例える比喩を教えてくれたのはネデルだったな――あっ!)

 俺はネデルが絵に込めた想いが分かった気がした。