幾星霜の昔。かつて、神々の住まう水果ての世と神々以外が住む水内ての世は別れておらず、この星に神々と人間が共にある時代、神代が在った。
ケト王国にムプサという地域がある。ケト王国が建国される前、ムプサは一つの国であった。ムプサは聡明な女王に恵まれていたが、それ以外の全てが不足していた。
ムプサにはニスルトという遊牧騎馬民族の敵がいた。ニスルトは当時、大陸北西部の覇をほしいがままにしており、一人でも多くの奴隷を欲してムプサを攻撃していた。ムプサ陥落が近いことは、隠居老人ですら風の噂で察していたという。
女王は神々の助力を得るために祭壇を築き始めた。人々は、女王ですら神頼みにしか希望を見出していないことに落胆した。神々は人間など相手にしない。そもそも、人間という生き物がこの大陸にいることを知るかすら怪しく、仮に知っていても、獣や虫と区別はしないだろうと、当時は広く信じられていた。
だが、何事にも例外は存在する。女王は自らと跡継ぎ以外の全ての家族を贄とし、とある一柱の加護を得ることに成功したのだ。この一柱は女王に自らの名を明かさなかったが、祭壇に供えられた青銅の獣の像の左足に宿ったため、青銅獣と呼称されていた記録がある。余談だが、ムプサでは生き物の血は穢れととらえていたため、祭壇に獣を備えることは決してなかった。供え物には獣をかたどった像が好まれ、その中でも青銅の像はムプサでは最高の供え物であった。青銅獣は、女王に身命を捧ぐ五十人の男女を、救世を志す求道者すら腐らせる堕落の呪を操る魔へと変じさせた。
魔と化した五十人はニスルトの支配者たちの閨に容易く入り込んだ。それからわずか一ヵ月後、ニスルトの支配者たちは美しい魔を奪い合って致命的な内部崩壊を起こし、大陸北西部の覇を永遠に失ったという。このムプサの魔こそが今日淫魔と呼ばれる者たちの祖先であるというのが、今日の妖学における最も支配的な仮説である。ニスルトが滅びに要した一ヵ月という期間が、人間が淫魔の誘惑に耐えられるのは一ヵ月が限界とされる今日の通説に一致することは興味深い。
淫魔と人間の関係を表すためによく「猟師と獲物」の比喩が用いられる。淫魔は人間を糧とするが、自衛と捕食以外で攻撃することを深く慎む。獣を狩る猟師は自身が獣に依存していることを知り、獣の種としての繁栄を望んでいることになぞらえたものである。
猟師の比喩の問題は、淫魔を過度に人間的に描写することで、人々にその危険性を過小評価させ得る点にある。美しく、人間のように感情を表現し、人間のように考える淫魔には親しみを覚えがちである。しかし、淫魔の起源はムプサの魔であり、五十人の国士との精神的な連続性が今でも保たれていると夢想するのは賢明とは言い難い。猟師は獲物に無用の苦しみを与えないことを美徳とすることはあっても、捕えた獲物に情けをかけたり命乞いを聞き入れたりはしないだろう。淫魔を前にした人間は、自らが猟師に捕われた獲物であることを自覚しなければならない。
そして、淫魔の精神は人間とは根本的に異質であることも覚えておくべきだ。淫魔の社交性は獲物を効率的に得るための罠に過ぎず、淫魔は本来、仲間も、財産も、棲み処も必要としない。人型であることからは想像しづらいが、繁殖は単性生殖で行うため番すら求めない。孤独も退屈も、淫魔を恐れさせることはないのである。
(テナチ王国王立妖研究所著、『妖とその起源を広く啓蒙するための書 第十一版』、ムプサの魔の章より)