太陽が山に隠れ始め、部屋が一段と暗くなる。
「レゾは淫魔を知ってる?」
サクの声が心地良い。闘う意志を保つので精一杯だが、サクから情報を引き出すために耐える。
「夢魔のことか?」
「違う。どうして人間は淫魔と夢魔が同じ生き物だって勘違いするの? 全然違う生き物だからね。淫魔はね、人間にとっての絶対的捕食者。でも、血肉を食べるわけじゃない。淫魔は獲物に性的快楽を与えると、食欲を満たすことができるの」
サクが楽しそうに話し始める。
「淫魔を見るのは初めてでしょ? 淫魔は大陸の西の方にばかりいるから。でも、大陸西部でヤバい魔物が復活しそうなの。あ、魔物ってのは妖の西での呼び名ね。多分その魔物が人間を皆殺しにするから、私は食料に困る前にテナチ王国に移住してきたの」
意識を強く保てば思考は回る。サクの弱点のヒントがないか、必死で情報を咀嚼し続ける。
「レゾ、酷い目に遭ったばかりなのにやたらと調子が良いでしょ? それ、私の術のお陰だから。獲物に『メンタル不調で勃起しない』なんて言われても困るから、淫魔は獲物の体や精神を元気にできるの。ほら、レゾの大きな息子さんも絶好調でしょ?」
サクが勃起した俺のイチモツを指さして笑う。
(その程度か?)
たしかに猛烈な性欲に苛まれているが、そんなもの耐えればいいだけだ。シラを抱きたいのを二年間我慢したことより辛いとは思えない。だが、サクにはそんな考えはお見通しらしい。
「耐えるのは絶対に無理だよ。人間の忍耐力を打ち破れないなら、淫魔なんてとっくの昔に飢えて絶滅してるよ。あっ、そうだ!」
サクはいたずらな笑みを浮かべて立ち上がると、両手で自分の顔を覆い隠した。
「おい、何をする気だ?」
それはすぐに始まった。
ぐちょっ。突然、湿り気のある柔らかいものを揉みつぶすような音がする。ばきっ。今度は硬い何かがへし折れ、砕けるような音がする。ぐちょっ、ばきっ、ぶちっ。音はサクから、いや、サクの体内から聞こえてくるようだ。グロテスクな、生理的嫌悪感を掻き立てる音。それに合わせて、サクの体がめきめきと変形していく。
「レっ……レゾは……シ、シ、シラに……無学、なっ、男は、ギッ、きっ、嫌い……言われ……必死……べ、勉強した、あっ、ね? そ、そしたら……」
サクの背丈はそのままに、肌色が日焼けで濃くなり、腰までの長さだった黒髪が肩までに短くなっていく。細長い顔が少し丸やかになり、華奢だった手足にしなやかに引き締まった筋肉がついていく。
「シ、シラも……レゾに、あっ、あっ、もっと、愛されっ……なっ、なりたいって――」
サクの肉が蠢いている。ぶちゅぶちゅと嫌な音を立てながら、胸と尻が張りのある脂肪と筋肉で膨らんでいく。最後に全身からぱきぽきと骨をならすような音を立て、変形がとまる。
「……うふふ。レゾが賢くなってくれた分、シラはレゾ好みの見た目になってくれたんだよね。レゾは体を鍛えてる女の人が好きだから……」
声が、低く湿り気のあるものに変わっている。
「お前……もしかして……」
サクが顔を覆っていた手を降ろす。さっきとは別人だ。知的で暗い印象を与える顔立ち。細く濃い眉。鋭い切れ長の目。大きな耳。高さのあるすっきり通った鼻筋。ぷっくりと膨らんだ唇。
「シラ……」
シラだ。シラと瓜二つどころか、本人としかいいようがない女が目の前にいる。
「顔だけじゃないよ」
サクが服を脱ぎ捨てて全裸になる。うっすら浮き出た腹筋の形状。縦長のヘソ。左太ももの付け根に並んだ二つのほくろ。仕事中についた打撲や切り傷の跡。何から何までシラのものだ。
(化け物が……舐めやがって!)
衝動的に殴りかかりそうになるが、今はまだ勝負の時ではないことを思い出して堪える。大丈夫だ。俺は冷静さを保っている。
「私はケト王国っていう西の国から来たの」
シラの姿と声でサクが話し続ける。
「テナチ王国に来たのは良かったんだけど、山ばかりでなかなか人間が見つからないし、テナ人の言語は難しいし、最初の獲物にありつくのに半月もかかった。しかも、テナ人は婚前交渉をしないでしょ? ケト王国にそんな風習は無かったから想像もしてなかった。でもね――」
サクが勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「みんなレゾみたいに抵抗したけど、私の誘惑に耐えられる男はいなかった。淫魔の誘惑は人間の女とは全然違うの。レゾにも体験させてあげるね」
何の前触れもなく、サクがふっと息を吹きかけてくる。息はうっすらと金色の光を孕んでいる。とっさに鼻と口を抑えるが、部屋に漂う匂いを濃縮したような香りが体内に広がっていく。
「私の術だから息を止めても無駄だよ」
(何だ!? 何をされ――)
一瞬の出来事だった。思考がぴたっと止まり、暴力的な衝動に全身を支配された。俺は飢えた犬のように荒い息を吐きながらサクを押し倒し、覆い被さると同時にサクの両足を押し広げ、イチモツを腹にこすりつけた。その時、サクの笑みが視界に入った。
「うぉっ!?」
シラは滅多に笑わない女だった。違和感が俺に冷静さを取り戻させる。あのシラが、俺に乱暴な扱いを受けて笑顔のはずがない。それに体温もおかしかった。サクの体はどこも均一に暖かくて不自然だ。妖だから体の作りが人間とは違うのだろうか?
自分の行為を自覚し、「うおっ、うぉっ」と間抜けな叫び声をあげて飛び退き、雷に怯えるガキのように布団に包まる。我ながら無様だが、またあの衝動に支配される恐怖で頭が一杯だった。何度も耐えられるものではないと、本能が告げている。
「へぇ、よく耐えたね。レゾみたいな若い男はみんな一瞬で堕ちるんだけどな」
サクが俺の頭を胸元に優しく抱き寄せる。破滅的な性衝動は去ったが、サクの抱擁を拒めるほど精神力は戻っていない。サクを恐れているのに、サクの胸元に顔を埋めているとシラに同じことをしてもらった記憶がよみがえり、安堵の涙が流れるほど気が緩む。もう、自分が何を感じているのかすら不確かだ。
「淫魔にとって、セックスに至る過程は料理みたいなものなの。人間も、キノコは直火で焼くのが好きとか、色んな具材と羹にするのが好きとか、食べ方に好みがあるでしょ? それと一緒。私はね、レゾみたいに必死で欲望に抗う獲物が、我慢して、我慢して、ついに限界を迎えて、私の体に溺れて、気持ち良くなることしか考えられなくなるのが大好物なの。だから、耐えられるだけ耐えてね」
サクが今までの笑い方と違う、歯を見せつけるような笑い方をする。妖の本性むき出しの、捕われの獲物に向ける笑みだ。俺を敵とすら見なしていないんだろう。
「最後に、レゾにとって一番大事なことを教えてあげる。淫魔とセックスした人間がどうなるか知ってる? 死ぬの。淫魔の体に溺れて、セックスすることしか考えられなくなって、最後は笑顔で死ぬ。何で死ぬのかは私もわからないけど、必ずそうなるの。うふふ……シラの姿でレゾを気持ちよくして、死に様を看取ってあげる。幸せな最期でしょ?」