3話 女

 見知らぬ、天井。暖かい布団の中の中にいる。

「……?」

 室内には俺一人。

 風を感じて布団をめくると全裸になっている。拉致されたのかと周囲を警戒するが、部屋の隅に俺の衣服、シラのお守り、真っ二つに折れた槍が置いてある。拘束もされていないし、開けっ放しの玄関扉に見張りが立っている様子もない。それに、体の汚れはふき取られ、傷口には薬湯の臭いを放つ布が巻かれている。誰かが俺を助け、治療までしてくれたとしか思えない。

「……」

 妙な心地だ。消し飛んだ故郷を目にし、目の前でロヤを貪り食われ、俺自身も死にかけた。俺が知るレゾという男なら、絶望でグチャグチャになって取り乱しているはずなのに、落ち着いている。いや、それどころか、何となく気分が良い。

 室内を見渡す。ラガンの家とは作りが違う。ラガンでは玄関前に石造りの祠を置くが、この家は室内に木製の祠がある。

 それよりもこの部屋、良い匂いがする。花か果物のような、シラの胸元に顔を埋めたときのような、だけどそのどれとも決定的に違う、今まで嗅いだことがない甘やかな香り。いつまでも嗅いでいたくなる――

「あっ、目が覚めた?」

 匂いに夢中になっていると、いつの間にか俺より二、三歳年上といった感じの、痩せて背が高い女が入口に立っている。

「もしかして、俺を助けてくれた人?」
「うん」
「助けてくれてありがとう。俺はレゾ」
「イカした名前。私はサク」
「サク。キレイな名前だ」
「ありがとう!」

 落ち着きと人懐こさの両方を感じさせる声音。爽やかな顔立ちなのに、どこか蠱惑的な印象だ。なにより、こんなに美しい顔を見たことがない。ここまで美人だと、モテすぎて人間関係に苦労が多いことだろう。

「這狼の群れに襲われて死にかけてたの、覚えてる? 私が助け出してここまで連れてきたの」
「……へぇ」
「ここはセンガにある私の家」
「ふぅん。そんな遠くまで」
「あれからずっと寝込んでたんだよ。失血死寸前だったけど、幸運なことに家に鉄の実があったから、丸ごと削って水に溶かして飲ませてやったの。鉄の実、知ってる?」
「知らない」
「飲むとすぐに血を作る不思議な実なんだけど、一流の薬師でも量の加減が難しいんだって。でも薬師を探してたらあんたが死ぬから、一か八か賭けに出たんだけど――」

 サクは元気にさえずっていたが、寝起きの相手に喋り過ぎだと気付いたらしく、「お腹に入れるもの持ってくるね」と言い、軽やかな足取りで外へ出て行った。

(……よし)

 サクの気配が家の裏手に回ったのを確認すると、室内を物色し始める。目的は盗みじゃない。情報収集だ。

(あの女、嘘をついてやがるな)

 センガは俺が倒れた場所から川を渡り、更に五カロコームは離れた場所にある。サクが体重百カローミ(※重さの単位。一カロ―ミ≒一キログラム)を超える大男の俺を這狼の群れから救い出し、センガまで運んだなんて、話に無理があり過ぎる。

 それに、祠には持ち手に深い切り傷がついた手斧が飾られている。これは死に別れた妻への未練に苦しむ寡夫が、いつか想いに蹴りをつけて再起することを誓うために飾るものだ。チヤレ県のテナ人はよほどの理由が無い限り成人すると親元を離れるから、ここがサクの家という話もかなり疑わしい。

(体調は悪いが、何とか動ける。あの女が危険な連中を連れてくるかもしれないし、さっさと逃げるか)

 服を着ようと振り返ると、真後ろに水差しと木の実を乗せた盆を持ったサクがいた。

「ねえ、何を調べてるの?」

 驚いて叫びそうになるのをなんとか堪える。

「調べてたわけじゃない。悪いけど、急用を思い出したからもう帰るよ。この借りはいつか必ず――」
「レゾは勘が鋭いね。ずっと私を警戒してる」
「警戒? 勘違いだよ。俺は女性経験が少なくてね。恥ずかしいことに、サクみたいな美女と二人きりだと緊張しちまうんだ」
「ふふ……嘘を見抜くのは得意でも、嘘はつけないタイプだね。レゾの好みはシラみたいな人でしょ?」
「ん? シラ? 誰だそれ? ていうか俺、そんな話したっけ?」
「してないよ」
「じゃあなんで……どけっ!」

 不意打ちでサクを突き飛ばそうとする。だが、筋力も体重も俺が圧倒しているはずなのに、サクは微動だにせず、水差しの水一滴こぼれやしない。

「っ!? 死ねっ!」

 祠の手斧を掴んで殴りかかるが、刃を素手で容易く受け止められる。

(人間じゃない! こいつ、妖か!?)

 何の妖かはわからないが、勝ち目が無い事だけは確かだ。逃げるしかない。

 サクの横を通り抜け、全裸で家を脱出する。太陽の位置が夜が近いことを示す。周囲にいくつか家があるが、人は見当たらない。ここがどこかはわからないが、少なくともセンガではない。だが、遠くの景色に見慣れた山がいくつか見えるので、多少の土地勘は働く。

(とにかくあの妖から一歩でも遠くへ!)

 不調を訴える体を無理矢理走らせると――

【どこ行くの? まだ怪我が治ってないから安静にして】

 サクの声が聞こえる。いや、頭の中で声が響いていると言うべきか。振り返るが、サクは追って来ず、玄関口に突っ立って手招きをしているだけ。「そういうことができる妖か」と、無視して走り続ける。

【人間の体力で私から逃げるのは無理だよ】
「はぁ、はぁ……」
【話があるんだけど……ちょっと! 無視しないくれる?】
「くそっ、うるせぇな」
【レゾ、今『くそっ、うるせぇな』って言った】
「はぁ!?」
【驚いた? 私はもうレゾに憑りついちゃったからこういうこともできるの。あっはは!】
「何なんだよ! くそっ」
「ねー、逃げても無駄だって!」
「あ?」

 鼓膜を震わせる声に、「まさか」と足を止め、振り向くと――

「ばあっ!」

 満面の笑みのサクが真後ろにいる。

「……」
「暴力で言いなりにするのは簡単だけど、獲物を傷つけるのは嫌いなの。だから大人しくして?」
「なんだよ……助かったと思ったら妖の餌か?」
「食べるのが目的ならもうやってる。本当に話したいことがあるの。レゾにも興味深いことのはずなんだけど」
「話? お前は何なんだ? 女の姿で人の言葉を話す妖なんて聞いたこともないぞ?」
「ちゃんと答えてあげるから。質問は一つずつ」
(……どういうことだ?)

 俺を獲物と呼ぶ割に、食いも殺しもせず、話をしたがる。何の妖なのかピンと来ないが、今闘っても負ける。こいつの正体を探り、弱点を知り、不意を突く必要がある。闘いの基本だ。今は従順にしておこう。

「降参する。話ってなんだ?」
「骸禍天がラガンの近くに来た理由を知りたくない?」
「理由? そんなの、あいつの単なる気まぐれだろ?」
「あー! やっぱり気付いてないんだ」

 サクが「今からとっておきの秘密を披露します」と言わんばかりに破顔する。妖とわかっていても、目が離せないかわいらしさだ。

「気まぐれなんかじゃない。骸禍天はあそこに誘い出されたんだよ。人間にね」