2話 生垣に座る理由

 寝る前、わたしは家の前の生垣に座って空を眺めていた。

 雲が多くて青の大月だいげつも白の小月しょうげつも見えない。かがやき蝶の群れが普段よりも高い空を飛んでいる。北西の山から骨み鳥の「ぼーっ、ぼーっ」という震えるような鳴き声が響いてくる。
(明日は雨になりそうだな……)
 嫌なことがあると生垣に座って夜空を眺めるのがわたしの日課。空の広さに思いを馳せることで「ああ、わたしの悩みはなんてちっぽけなんだろう!」って気分になるアレ。良い手のはずなんだけど、悩みが小さくてもわたしに解決する実力が無いから現状は変わらない。 (タライを受け取るためにまた金物屋に行かないと……嫌だな……)  ボーっとそんなことを考えていると――
「おい、フィリーナ」
 いつの間にか近くに来ていた大きな男の子に声をかけられる。
「いやっ! ……ってガゾ!? 驚かさないで!」
「お前が抜けてるのが悪い」
 ガゾが当たり前のようにわたしの隣に座る。

 ガゾはわたしの家の真向かいにある、ケーテ人だらけのシェイローネで唯一のテナ人の家の一人息子だ。わたしと同じ十二歳で、二年前に母国のテナチ王国から移住してきて以来、家族ぐるみで付き合ってる。
 ガゾは「のっぽ」があだ名のわたしより更に背が高い。ガタイは良いし、喋り方は荒いし、顔は怒った肉食獣みたい。不良外人にしか見えないけど、わたしにとっては家族以外で唯一気を許せる大切な友達。

「あんた急に何しに来たわけ?」
「お前、様子が変だぞ。何があった?」
 最悪。マジで話したくないんだけど。でも、ガゾは勘の鋭さは半端じゃないから、ごまかすのはすぐに諦めて正直になる。
「なるほど。アロンに泣かされたわけか」
「そう。それで家に帰ったら――」
「続きは話さなくていい」
「え?」
 ガゾの大きな手で口をふさがれる。ほんのりミントみたいな匂いがした。
「家に帰ったフィリーナはアロンに泣かされたことを話すハメにはった」
(合ってる)
「家族は必死で慰めてくれたさ。でも、最後に親に『言われっぱなしってのはどうよ?』って言われたんだろ?」
(なんでわかるの?)
「で、へこんだフィリーナは気晴らしに夜空を眺め始めたわけだ。ぽかんと口を開けてパパのお説教を反芻はんすうしながら『わたしには無理だよ~』って――痛ぇっ!」
「あっ、ゴメン」
 何もかもお見通しな上に、「ハンスウ」とかいう難しそうな言葉を使いこなすのにイラっときて、思わずガゾの手に嚙みついていた。
「噛みつく相手を間違えてるだろ! やるならアロンにやれ!」
「無理言わないで!」
「俺もフィリーナの両親に賛成」
「えっ!? わたしは何も悪くないのに!?」
「はぁ? アロンが悪いなんて六歳児でもわかること、どうでもいいだろ? フィリーナは家の戸締りをし忘れて空き巣に入られた間抜けに『悪いのは空き巣だからこれからも鍵は開けっぱなしでも良いよ』って助言するのか?」
「そんなこと言わないけど……」
「俺の母国には『怠惰と愚かさは無垢なる童の面を好む』って素晴らしいことわざがある。ガキみたいな悪者探しで自分の問題をごまかすなって警告さ」
「………」
「暗い顔するなよ! 俺もまさか、一人でアロンに立ち向かえなんて言わないさ。良い作戦がある。俺の彼女になりなよ!」
「はあ? またその話?」
「アロンの野郎、『わたしの彼氏はガゾだけど?』って言えば、干からびて死にかけてる真夏のミミズみたいに縮こまると思わないか?」
「そりゃそうだろうけど……」

 ガゾは体も心も強い。アロンが五人に増えてもガゾが圧勝すると思う。

 ケーテ人には「ケーテ人の白い肌は選ばれし民族の証」って信じ込んで、多人種を見下す連中がすごく多い。ガゾたちもシェイローネに移住してすぐの頃は差別されまくってた。アロンの悪口なんて比にならないほど残酷な暴言を大勢に毎日のように浴びせられて、よく家の前にゴミや動物の死骸を捨てられてた。

 そんな連中を、ガゾたちは実力で黙らせてきた。
 ガゾの家は全員が腕の良い猟師で、山に入る度に籠一杯の獲物を持ち帰るから、まず村の猟師連中がガゾたちに降参した。
 しかも、ガゾは頭も良い。ケーテ人の言語ケトロンを一年で身につけて、大人でも読める人が少ない村の祠に刻まれた祈りの言葉をすらすらと読み解いたから、今では年下から「ガゾ博士」って呼ばれてる。
 それでも差別を続ける連中をガゾは容赦なく叩きのめした。芋農家の不良息子は村一番の巨漢の乱暴者としてみんなに恐れられてたけど、ガゾのママを「こんな田舎まで出稼ぎにきた汚れた売女」呼ばわりしてるのをガゾに聞かれたのが運の尽き、片目が見えなくなるまでガゾにぶちのめされた。この一件以来、ガゾの家族の悪口を言う人は一人もいなくなった。
 要するに、ガゾってわたしとは正反対の人間。いつでも闘う準備ができてて、わたしみたいにウジウジするって選択肢がそもそも無いんだと思う。

「俺の何が気に入らない? 彼氏が外国人は嫌とか?」
「そうじゃないけど……」
「急かしはしないけど、いずれ答えてくれよ」

 ガゾはわたしに一目惚れしてて、月に一回は口説かれてきた。でも、わたしはガゾがわたしの何に一目ぼれしたのか全く見当がつかない。

 ケーテ人に美女と呼ばれる女の人は大抵四つの条件を満たしてる。一つ、肌が雪のように白いこと。二つ、身長は高すぎも低すぎもしないこと。三つ、体型がスレンダーなこと。最後に、髪はウェイビーな明るい茶髪であること。お姉ちゃんはこの条件を見事に満たしてて、ちょっと外出するだけで男から砂糖やミントをプレゼントされて帰ってくる。
 わたしは見事に真逆。肌は小麦色。背は170チェコーム(※長さの単位。1チェコーム≒1センチメートル)を超えてもまだ成長中。おっぱいとお尻がデカすぎてママやお姉ちゃんのお下がりの服はもう着られない。とどめに髪は黒に近い茶髪で、「先っぽに重りでも括りつけてるの?」ってくらい見事な直毛。ガゾが狩りの獲物をわけてくれる以外で、男からプレゼントをもらったことなんて一度もない。

 だからわたしは、ガゾがわたしを口説くのは、わたしを守るための方便かもしれないって疑ってる。

「どうしてわたしみたいなブサイクを––」
「あ? 俺が狙ってる女の子の悪口か?」
「……わたしのどこがそんなに好きなの?」
「全部だよ、全部。人間は分けられないんだ! 『どこ?』とか無意味な質問はやめてくれ」
「本心で言ってる?」
「何で嘘なんてつくのさ! お前は最高だよ! 俺の冷静さを奪う魔性の花さ。一瞬でも視界に入ると目を離すのが辛くてたまらないね」
「ふふ……へぇー、だからいつもジロジロ見てるわけ? キモッ! 死ねばいいのに!」
「俺は女の死に様を看取るまで面倒を見る男だ。俺に死んでほしいならまずお前が死ね」

 その時、わたしのママとガゾのママがほぼ同時に「いい加減寝なさい!」と怒鳴った。お開きの時間だ。

 部屋に戻るとすぐ布団に潜りこみガゾに口を塞がれた感触を「反芻」した。分厚くて硬い皮膚。親指の腹の真新しい傷跡。噛みついた時に感じた仄かな血の味。――気分が良い。

(ガゾのお陰でだいぶ胸が軽くなったな……)

 嫌なことがある生垣に座る理由。昔は本当に夜空を眺めるためだけだったけど、今はどうだろう?

 生垣に一人でいるとその内ガゾが話しかけてくる。家族よりガゾに打ち明けたいことがたくさんある。ガゾに口説かれるのはまんざらでもないとうことを自覚してからは、少なくとも夜空だけが目的ではなくなってる。

 ガゾに対する気持ちが恋心なのか、それとも数少ない味方に依存してすがってるだけなのか、自分でもよくわからない。わたしが劣等感にまみれたままだと、ガゾと本当の意味で気持ちをやり取りすることはできないんだと思う。

 「ちゃんとした人」になる。わたしの最大のテーマだ。生憎、ちゃんとした人がどういう人かはわからないし、どうすればなれるのかもわからないんだけど、ならないと駄目だということはわかってる。