コイは苦心の末に山送りの対象を選び、選別結果を伝えにデンの家を訪ねた。家の裏手で選別結果を教えられたデンが顔を真っ赤にして怒り始める。
「母さんを選びやがったな!」
デンがコイに殴りかかるが、コイはそれを易々と制し、いつもの淡々とした口調で言葉を発する。
「公平に選べばこうなります」
「義兄さんにとっても義母親だろう!? よくソンの世話を見てもらっていたくせに!」
「そうですね」
「それに、リウも選ばれてるじゃないか! リウは親友じゃないのか!? 動けなくなったら捨てるのか? 義兄さんには人の心が無いのか!?」
「人の心?」
コイが凄む。あまりの迫力に体躯ではるかに勝るデンが体を縮こめた。
「人の心とは何ですか? 長の立場を利用して身内や親しい友人をえこひいきすることですか?」
「いや、それは違うけど……」
「たしかに、病や怪我に倒れた者を切り捨てるなど、冷酷無情の人でなしのやり方です。ですがね、デン。長とは集団の生き死にに責任を負う者です。より多くを生かす義務があります。長が凡庸な人情論を盾に決断から逃げるなど、人でなしにも劣る所業です」
コイが薬が詰まった筒をデンに渡す。
「私が調合した薬です。本来の用途は睡眠薬ですが、飲み過ぎると毒になります。大人の適量は毎日寝る前に一粒だけ。一度に五粒以上飲むと二度と目覚めませんから、扱いに気を付けてください」
手渡された薬の意味を理解できないデンではない。求められていることの恐ろしさに、俯いて黙り込んだ。
コイは冬明けに飢える見込みの他の家にも睡眠薬を渡して回った。念押しするように食糧難の見込みを示唆し、睡眠薬を渡し、適量と致死量を伝える。これがコイが下した決断である。「お前の家は食い物が不足する。だから何人か減らせ。手段はこちらで用意する」。そう告げて回るのだ。決断の苦しみが嘘のように、コイは淡々と役目を果たしていく。情を封じなければ、このような所業には耐えられないのだ。
最後にリウの家を訪ねる。リウは独り身なので、自ら致死量を仰がなければならない。
「よお、コイ。酷い顔だな」
足が不自由になったリウが布団から上半身を起こす。声は喘鳴交じりで、獣のような強面は苦し気に歪んでいる。
「当たり前だろ。俺が今どれだけ忙しいと思ってる?」
長や父親の仮面を脱いだ砕けた口調でコイが答える。ここに来てコイは死の運命を告げることに葛藤を覚えるが、義務感の力で声を絞り出す。
「なあ、リウ――」
「待て。ちょうどお前に言いたいことがあったんだ。先にそっちを済まさせてくれ」
「なんだ?」
「食い物の話だ。お前、このままだと冬明けあたりに血みどろの争いが起きるぞ。食い物をめぐって隣人が殺し合い、生きるために死体すら食い始める。信じたくないだろうが、飢えは人を獣に変える。これは歴史が繰り返し証明してきた人間の負の側面だ」
「大したもんだな。お前は寝込んでても大事なことを把握している。俺も同じ考えだよ」
コイとリウは同じ年に生まれた幼馴染で、互いが互いを一番の友に挙げる仲である。二人とも幼少の頃から抜きんでて賢かったが、リウは常にコイより賢かった。コイにとってリウは友であり、師でもあった。
「じゃあ、やっぱり山送りか?」
「ああ。実は準備もできてる」
コイが懐から最後の筒を取り出す。リウは聞かずともその意図を察し、「ふー」と大きなため息をついて笑った。
「……」
「……」
「おい、コイ。気まずいから何か言えや」
「お前を間引くと決めたのは俺だ。こういうことは、その、私情を排して公平に決めなければならない。わかるだろ? えこひいきなんて論外、していると思われるだけでも殺し合いが起きかねないんだ。今回間引くのは二十人なんだが、もしあと三人間引く必要があったら、俺は……俺はソンを選んでいた! それだけ差し迫った事態なんだ。だから――」
「落ち着け。俺は長の立場を想像できないほど馬鹿じゃない」
「悪い。恨んでくれて構わない」
「恨まないよ。お前の落ち度じゃない。アバドンに残ると決めた瞬間から、こういうシビアな状況は覚悟してたよ。お前の用はこのことだったのか?」
「ああ。お前、体調はどうなんだ?」
「見ての通りだよ。間引かれるまでもなく、冬明け前にくたばりそうだ」
リウが悔しそうに笑う。リウは三十歳になったころにはアバドン随一の腕利き猟師の誉れを得ていた男である。他の集落に移住しても大歓迎を受けていたはずだ。その機会を捨ててアバドンに残ったのは、リウも滅びるアバドンに何かしてやりたかったのだとコイは心得ている。
「もう一つコイに話したいことがある」
「なんだ?」
「お前、もうすぐ誕生日だろ? 戸棚の木箱に贈り物があるから持って帰ってくれ」
リウが顎で指した棚に置かれた木箱を開けると、乾燥させた香草が詰まっている。
「これは、お香か?」
女に自分をセクシーに印象付けたい若い男が好みそうな、甘く爽やかな香りがする。
「これを俺に? おいおい、随分色気のある贈り物だな」
「なわけ無ぇだろ、気持ち悪い!」
コイとリウが床をバンバン叩いて大笑いする。苦しい二人にとって、気が緩むのは久しぶりのことだった。
「ソンちゃんにくれてやれ。あの子が好きそうな香りだと思ったんだよ」
「そういうことか。ありがたくもらっとくよ――」
その時、コイの背後で「からん」と乾いた音が響いた。振り返ると、リウが筒の蓋を開け、中の薬を喉奥に流し込んでいる。
「味はほとんどしないんだな」
「おいおいおい! リウ、お前、何やってるんだ――」
「お薬を摂取しただけだよ。用法用量を守らずにな」
「今すぐ吐き出せ。助からないぞ」
「コイ、ちょっと俺に触れてみろ」
リウの肌に触れると、既に死んでいるのではと思われるほど冷たい。
「六牙の毒にやられるとこうなるらしい。お前にもらった薬は欠かさず飲んでるが、寒さも痛みも増すばかりだ」
「そうか――何もできなくてすまない」
「俺はどうせあと数日の命だ。どうせ死ぬなら俺の体で薬の最終テストをしてやるよ」
「調合は完璧だ。眠るように死ねる」
「そりゃ安心だ。なあ、俺を恨んでくれても構わないからな」
「は? どうして俺がお前を恨むんだ?」
「この先、どう考えても長は苦しい。お前を支えてやるつもりでアバドンに残ったんだが、結局何の役にも立たないまま死んで楽になる。悪いな」
「謝るな!」
コイが叫び、「ぐぅ……」と苦し気に嗚咽を漏らし始める。
「畜生! こんなっ、こんなのはクソだ……」
うずくまるコイの背を、リウが冷たい手で撫でる。
「好きなだけ泣いていけ。お前はこの先、苦しくても泣けなくなるからな」